全方位に中指

全方位に中指ブッ立てて生きてる

自覚のある不適合

学校という地でしっかりと地面を踏みしめた記憶があまりない。

情緒が育つような頃、大自然に飛び込んでやれ亀捕獲だやれバッタ飼育だやれドングリを炒め食べるだと野生に帰った生活をしていたからか 何なのか。

自分のことは別段変わっているとは思わない。
感謝と謝罪は口に出せるし、前に立って発言できないほど人が苦手なわけではない。リア充女子の生き方は真似できないとは思うけれど、だからといってそれが変だとは思っていない。
少々足らぬという自覚はあるけれど。

それでもどうしてか、ほんの少し浮く。馴染まないと言ったほうが近いだろうか。

先に述べたように、少々足らぬというか違う ような自覚はある。
自称変人ほど嫌いな人種は居ないのでそういった言い方はしたくはないし変わっているつもりもない。ただ、周囲にある普通にはうまく適応出来ていない という自覚。

そもそもその気がない、協調性がない、空気を読まない。読めない。わかっていても、できない。日本の女子社会で生きるには大きな欠陥。
だから少し浮く………結局そんなこと、平気だ。
そしてきっとここが一番駄目だ。

周囲を見ていても、自覚のある不適合が一番生き辛そうだと思う。常識を認識できる程度普通で、その常識を常識にできない程度にはおかしな人間。
彼らは状況には傷つかないながら自分を責めている。

学校は差はあるだろうが、大多数が集団をイチと数える。
その筆頭たる言葉がニコイチだろう。何でニを足してイチだエジソンか。個人的にこんなふざけた言葉はないと思っている。

まあ、であるので、個人をイチと考える人間が生きようとするには難しい場所なのかな、と思う。

あなたはあなた。わたしはわたし。イチとイチでニ。どうしてそれではいけないのだろう。

同じでなければ、ひとくくりで「違う子」になる。あのこはあのこ、わたしはわたしにならない。違う子。
どうしてそうなるのだろう。

それを「考え方が違うから仕方がない」とは思うけれど、それで全部気にしないことを許してはくれないのが学校だ。

生き辛いと思う。地に足がつかない。

話せる子はたくさんいる。ただ、そこによく見かける女子らしい仲の良さはない。
きっとわたしが女子の中で生きるには大事な回路が足りていない、と、最近良く思う。

それでも生きていけるし、そう言う悩みも今だけだ。それでも、この今はまだまだ続くから……そうは言われても、と。
この、なんだかふわっとした地獄。

多分わたしは、人よりもキリンが好きだし、学校よりも自然の中にいるほうが好きだ。好きなのは会話をすることだけで、人自体はあまり好んでいないのだろうと感じる。
どこで歪んだのだろう。

そもそもこれは歪みなのだろうか。これでもいいのだろうか。わからない。

ただsnowの集団自撮りをTwitterにアップロードをするという行動パターンには割と激しい目のアレルギー反応を起こすので、きっと明日もわたしは教室でプカプカ漂っているのだろうと思う。
ああもう 難儀だ。

どこの地面ならしっかり立てるか、誰か早く教えてほしい。